昭和45年12月22日 夜の御理解



 今日は御礼参拝が多い日でした。本当におかげを受けて御礼に出て来ると言う事は有難い。中でも今日若い夫婦の方が、どしてもあの相性が合わんと、どこどこの科学的に、その見て下さる所があって行った所が、科学的にしらいうてもいかんち言うたというので、もう別れるもう寸前になりましたのでね、丁度その朝のここの御理解が、あのう日柄方位は見るに及ばずというあの御理解ですね。
 そいでその方の、兄弟になるか方がお参りして来ておって、それを書いて叉皆さんに話して、とにかく親先生任せになってから、おかげを頂こうと言う事になって。今日は皆さんの夫婦とお母さんと、里のお父さんという、ちょいとお父さんがよかけん別れられんちいう位に言よってやったつが、ほんなこつあたしゃ今日会うて、信心が無かってもあんな人がおんなさるじゃろかち言うごたるですね。
 あのうお父さんでしたが。本当親先生のおかげでね、こうしておかげを頂いたちいうてから。あちらのお父さんと、こちらのお母さんと夫婦を連れてから御礼参拝がありましたがね。矢張り・・・・?それからあの、是はまぁ安東さんの事ですから、・・・・・?ども。昨日電話が掛って、あのう自動車の運転手を、おらんから雇いたいと。今度あの7万円かだか給料。
 そん替わりどっか自動車をもってガソリンでも、向から向こう持ちだそうですが。あのうそういう雇うてよかろうかという事でしたから、御神意を伺いましたら、見合わせたらよかろうちいう事になった。そっから今朝からさっきから安藤さんが出て見えた。実はそれがあのう、もう雇うごとしてあって、断われない。ところが先生そう言う事になりましたらその、勇一君というのが、大学ん時から運転しよりますが。
 それがもう親父があんまり、分からんこつ言うけんで、もうおりゃ店を加勢せんちちから、いうてもう運転はもう絶対せんち言い出したから、その運転手を雇う事になった訳なんですよ。ところが、昨日そのあいのでが?、あぁ運転手は、雇わんでもよいと言わっしゃった。けれども家では雇とると。どうにもでけない、その切羽詰(づ)まっとる模様を見てから勇一君がね、僕がねやっぱ運転はするち。だから僕が息子がいう事聞かんちいよったつが、いう事聞くごつなったからという理由で、向こうに断ってくれちいうてから、言寄ったちいう御礼お届けでしたがね。
 ほんとにあの、神様任せになって、家庭の上にまでこれ円満なおかげになっていきよる訳ですね、それどころから。(笑いながら)まあそのおれ、今日わざわざそのために安東さんが御礼参拝してきとりましたがね。ほんとに御届けを、あのお取次ぎさして頂いてから、そのように纏って行ったり円満になって行ったりしておるという事がね、信心がなかなら、そげん所からでも運命は狂うて来るもんだなと私は思いましたね。